暇つぶしのお供に。

暇な時書きます。

薬味とトッピングの違いって?

今週のお題「薬味」

 

薬味、ときいてまず思い浮かんだのは、母が切ってくれる葱だった。そうめんの日などに薬味として汁に入れてくれるのだが、味の違いがわからずただなんとなく食べていたような気がする。

 

ところで、薬味とトッピングの違いとは何だろうか。葱やしょうが、海苔は薬味っぽい感じがするし、にんにくや玉ねぎ、卵はトッピングっぽい感じがする。

薬味は味を整えるもの、トッピングは味を足すものと定義できる気もするが、ネギ油とか韓国海苔とか、どちらにも属せるような奴らがいる気がする。

 

こういう定義や意味はインターネットを使って検索した方が、早いし的確だ。しかし、ああでもない、こうでもないと頭を悩ませるのもまた楽しいし、その時間は有意義な無意義な時間だ。調べた方が早いけど。

一応所見を述べておくと、薬味とは料理名を変えない範囲での物質的な追加であり、トッピングとは料理名を変える、または添加するに足りる追加。このように定義づけておきたい。

 

私は油そば大好き大学の学生なのだから、油そば大好き大学周辺の油そばを好んで食べる。通常、油そばは卓上調味料が充実しており、自分なりに味変をして食べる。

今日はたまたま普段行かない油そば屋に行って食べたのだが、調味料をかけたらその味しかしなかった。普段行ってる店は素の主張が強すぎるらしく、今日の店は物足りなく感じてしまった。帰り際にアンケートに友人は「白いキャンバスのよう」と書いていた。

 

丸亀製麺はうどんにセルフサービスで薬味をかけることができるのだが、トングが有り得ないくらいデカくて、大量のネギと揚げ玉をぶっかけることになる。これではトッピングだ。わたしは丸亀製麺のように寛大な薬味を与えられる人になりたい。

丸亀製麺は口からビーム放つし、黒魔術を使うし、拷問部屋があるけど。

 

 

以下日記

・西川貴教がHOTLIMITを歌ったせいで関東に夏が来た、来てしまったような気がする。

 

・最近ネットの鬱小説に微ハマりしている。芝川とか。太宰治とか過去の文豪は当時は母数が少なかったから、面白いと崇められていただけでつまらない物もまぁまぁあると思う。現代のTwitterクネクネ小説とか全然知らない人のブログの方が面白いな、と思う時もある。

まぁ、逆も然りなんだけどね。

 

以下戯言

・ドパガキに対抗するためにロックンロールを聞き続けている。最近のお気に入りはSuspended4thです。新アルバムがめっちゃイイ

 

・試験期間早く終われ〜

 

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これは行きつけの油そばで、ものすごく中毒性がある。もはや誰も何味か、なんで食べているのか、そもそも美味いのか分からずに、食べ続けている。

掌編「あなたにも翼は生えているか」

拝啓

 瞬く間に桜が散り、雨が降り、そして夏至を迎えました。日差しが強くなり汗ばむ日が増えています。いかがお過ごしですか。

 

 僕は今年で三年生になり、学生最後の春を終えました。

 

 以前はお手紙ありがとうございました。同封されていた絵葉書の「鳥になりたい」という言葉と羽ばたく翼の落書きが微笑ましかったです。

 

 翼と言えば、先日学校の図書館で鳥に関する本を借りたので粗筋を記しておきます。きっとあなたも気に入ってくれると思っています。

 

 

 あなたには昔、翼が生えていました。毎日空の上で他の翼の生えた人と無邪気に遊んでいたのです。

 やがて少しだけ大きくなったあなたは、地上を眺めてみることにしました。雲のせいでぼんやりとしか見えませんでしたが、ひとつ目に留まるものがありました。それは赤くて、丸くて、つやつやとした果物でした。あなたは地上に降りて、それをひと口食べました。すると、なんと美味しいのでしょう。あなたはすぐさまその果実のとりこになり、繰り返し食べるようになりました。

 しかし、それがまるで罰とでも言うようにあなたの頭は段々と膨れ上がっていき、ついに翼は支えきれなくなります。そうして、地上へと墜落していきました。

 降り立ったあなたは、雲越しにはよく見えなかった地上の様子がよく分かるようになりました。そこには荒地が広がっており、同じように墜落してきた仲間と果実の生った木がぽつん、ぽつんとあるばかりでした。

 やがて、あなたは空に戻りたいと思い羽を集め始めます。始めは早く空に帰るのに必死で落ちているものをひろったり、仲間の羽をむしりとったりしていました。でもそれだけでは大きな翼を作るには全然足りませんでした。次第に協力して落ちている羽を集めたり、蝋をとかして作ってみたりするようになったのです。時には、他の仲間から羽を託されることもありました。

 そうして、ようやく大きな翼をこしらえたあなたは再び空に向かって飛び出していきます。しかし、あなたの目的はただ空に帰ることだけではなくなっていました。今は太陽をめざしているのです。

 あなたはどんどん太陽をめざして飛んでいきます。

 

 ごめんなさい、粗筋はここまでです。なんだか終わってしまうのが寂しい気がしてまだ読み切れてないんです。もしかすると、これは単に寂しいだけじゃないような気もします。

 

 この本を紹介したのは主人公がなんだかあなたのように思えたからなんです。僕にはあなたの背中に翼のようなものが見えた気がしました。そして不思議なことに、これは僕のことのようにも感じます。

 

 けれど、人の羽をむしり取ってまで再び空に帰りたいと思うのでしょうか。蝋で作った翼はやがて太陽の光で溶けてしまうのでしょうか。そうしていつかこの本を読み終える日が来るのでしょうか。僕にはまだ分かりません。

 

 この手紙を書きはじめて、気がついたら汗をかいていました。窓から西日が差し込んで便箋に影を落としています。春というのは短いですね。どうやら僕のすぐ側にも夏が来ているようです。

 

 あなたも冷たいものを食べすぎないよう、体調に気をつけてください。

敬具

 

以下日記

 

・多くの日本人は「あの夏」を追い求めているが本当は青「春」を求めてるという自己矛盾に気がつくべきだ。

 

・ダチョウの目は人間の視力の20倍程度あるらしいので、視力検査で無双できると思ったが知能は20分の1にも満たないのでそこで妄想は終わった。

 

・プロジェクトヘイルメアリーを見た。ロッキーが可愛いね

 

・バイト先の先輩がものを伝えるのは、先人の文筆家がやっと本を一冊出して伝え切れるかどうかだから難しい、と言っていて本当にそうだなと思う。

 

・試験が多すぎて窓を突破って翼はためかせ行く妄想をしている。

アイスクリームを分けるということ。

今週のお題「アイス」

 世の中のアイスクリームは「可分アイスクリーム」と「非可分アイスクリーム」に分類することができる。

 

 可分アイスクリームに当てはまるものとして最初に思いつくのは、ピノやアイスの実といった複数入っているものである。加えて、サーティーワンのアイスケーキのように大きいものもある。これらのアイスは比較的容易に分け与えることができる。また、雪見だいふくやパピコもこれに当たるだろう。インターネットでは「雪見だいふくを分けあたえろ、というのはもはや脱法である」という指摘もあるが、それは詭弁である。2つしか入っていないもの、ではなく2つ入っているのだから1つあげよう、と考えるのが立派な成人というものであろう。独り占めしてやろうなんて邪な気持ちは持ってはならない。

 

 非可分アイスクリームは形状や性質からして当然に分けられないものである。サーティーワンを店で一つ買って二人で食べるのはなんか違うし、金欠男子学生がガリガリくんを二人で舐め合っている図などあまりに見るに耐えない。このようなアイスクリームは一人で食べるのが礼儀だといえよう。

 

 私も可分アイスクリームを買った時は分けて食べていたと思う。暑い夏の日に母親がスーパーで買ってきてくれるパピコを妹と分け合ってよく食べていた(私が如何に紳士的で偉大な兄であったかネット民の皆さんには理解してもらいたい)。母親はなぜか蓋の部分を欲しがっていて、いつもあげていた。同じ夏に祖父母の家に行き、パピコを食べたときに祖父が蓋の部分を欲しがっており親子だな、と子供ながらに思ったこともあった。量はともかく何かを食べるときにその味を人と共有することには少しばかりの幸せが含まれている。

 

 今日の夕方、母親の腰が悪くなってしまい犬の散歩を任された。我が家の犬はドイツ製漆黒の害虫駆除犬である。もっとも、おやつをたくさん与えるものだからぷくぷくと太ってしまい、本来の役目なぞとうに忘れ、日中の大半は家でゴロゴロするという体たらくである。最近は漆黒加減も薄れだんだん白みがかってきている。しかし、外にでるとその血が騒ぐのかすれ違う犬に威嚇し、通り過ぎるバイクを追いかけ回し、ボス猫に対して啖呵を切るなど、その散歩には実に骨が折れる。熱くなってきたこともあり、帰ってきた頃には犬も私も既にへとへとであった。私は体を冷やそうと冷蔵庫からアイスをとりだしたのだが、犬というのは賢い生き物で人間が何かを食べようとするとすぐにねだってくるのである。賢明に短い前足を使ってアピールしてくる中、一瞬何かあげようかと考える。よく考えると、私は正義のミカタよりも野望にあふれる悪役のほうが好みだ。私は犬には目もくれず、それが可分か非可分であるかも判断せずアイスを食べ尽くした。

 

以下日記

・最近なぜか妖怪ウォッチブームが再燃しているように感じる。ジバニャン。お前はまだやれる。

・劇場まで足を運びプロジェクトヘイルメアリーを見た。おったま元素Tシャツほしいな。

・AIに文章を送ると文章を採点してくれるのだが、改善されたものが元の文章よりいいものになってしまい、拗ねて出していない文章が沢山ある。

一年前のまだ黒かった犬。寝ている様子はさながら鰻である。

 

ときめきってなんダ〜TOKIMEKI?〜

・バイト先の店長がパートリーダーのお姉様とお付き合いすることになった。生々しくて見ていられないとの批判が殺到している。そんな中、別のおばちゃまと店長の恋愛模様について話していると、「店長はときめいているのか?」という話になった。しかし、そもそも「ときめく」が何であるかがわからず、困ってしまった。

 「ときめく」とは一体何か?という問いを色々な人に投げかけてみて、その回答をまとめてみた。

 

・まず辞書で調べてみると、「喜び・期待などで胸がわくわくすること」だそうだ。また、古語では「時めく」という字が当てられ、「時流に乗って栄える、もてはやされる、格別に愛されること」という別の意味で使われていた。源氏物語の序盤を思い浮かべるとわかりやすい。

 

・次に、おばちゃまいわくときめくとは、「深キョンが出てたドラマみたいなもの」だそうだ。 なるほど、確かにドラマティックな人間関係、特に恋模様にトキメク、というのは起こりそうだ。この点、店長の恋愛模様に我々は全くときめかないことを念押ししておかねばなるまい。

 

・他のバイトの女性(20代)曰く、ときめきとは「少女漫画のようなもの」らしい。なお、僕は少女漫画について格別目の大きいキャラクターが出てくるということしか知らないためよくわからなかった。

 

・母曰く「胸がドキドキすること」、父曰く「そんなことは知る必要がない」だそうだ。ふたりともまともに取り合ってくれず、すこししょげる。

 

・友人曰く、ときめきとは「破壊すること」らしい。破壊する瞬間が一番輝くからだそうだ。謎の破壊願望があるということなのだろうか。というかこれはときめきなのか?

 

 以上のように、人によって様々な「ときめき」に対する捉え方があることが分かった。この語は、本来の辞書的な意味を超えてそれぞれ別に抱くものがあるということなのだろう。

 では、お前はどうなのだというと、「昼下がり、なんもない原っぱで春嵐を待つようなもの」だと思う。

 昼下がりののんびりとした空気の中、あなたはだだっ広い原っぱに腰掛けている。3月だからか気温は少し暖かく、ダウンはいらないだろう。遠くで子供が遊ぶ声が聞こえその方に目を細めると、不意にびゅうっと少し強い風が鼻先に触れる。そして、たった今春嵐が来たら、と想像する。子供の声も、生ぬるい気温も、原っぱの草も、昼下がりも、全て吹き飛ばしてしまう嵐がやって来て、きっとずぶ濡れになってしまう。薄着だから寒いかもしれない。けれどその後に温かな春がやってくることを予感する。

 ときめきとは、人にだけ向けられるものではない。それがモノ、ことでも同じように機能する。そしてその対象は、現実を破壊する不可抗力であり、不意に訪れ、それっきり世界がまるで変わってしまうことではないか。多分それは少し怖くて、不安で来てほしくないと思う一方、どうしてもワクワクしてしまう。それを予感し待つことをトキメキというのでしょうか。

 

・以下日記。ヨルシカの「二人称」読了。手紙を自分で明けて読むという行為でしかできない体験はあったが、肝心のネタは正直想定の範疇で驚きは少なかった。取り上げているテーマに対する掘り下げもやや薄く、それを楽曲で補完するというように感じた。アルバム楽曲との噛み合いは非常に素晴らしかった。

 

・結核の妹のためにお椀で雪をすくって持っていってあげる、という国語の授業で習った詩が、宮沢賢治の詩集の「春と修羅」の中の「永訣の朝」だったことを知る。新潮文庫の宮沢賢治詩集をブックオフで買ってみるものの、難しくていまいち詩の楽しみ方がわからない。春光呪詛ではあこがれの女性に対して、悶々とする内面が描かれているように感じた。きっと、宮沢賢治は"ときめいている"。

 

・鴨川シーワールドに行った。多分、俺よりシャチやイルカのほうが賢くて利口だと思う。

デカイカニ、デカニ。



「無意味な先輩、無意味先輩。」

僕がアルバイトで働いていた喫茶店に、ある先輩がいた。

 

先輩は、無意味先輩だった。

 

僕はその時アルバイトに入りたてで、お客さんに商品を提供する「ホール」、無意味先輩は商品を調理する「カウンター」をしていた。

 

無意味先輩は、無意味なことをする。

 

無意味先輩は、客の顔が見えないカウンターで「これ女の子?」と聴き、そうだと答えると粉チーズを多めにかけた。男には少なかった。

 

無意味先輩は、人より数倍大きな声で「らっしゃーせ!」といい、Googleマップのレビューを「居酒屋みたいでした」で埋め尽くそうとした。

 

無意味先輩は、自称パチプロ先輩とパチンコで絶対に勝つ方法について熱く語りあった。

 

無意味先輩は、年下の可愛い女の子に、わざとらしく馴れ馴れしい様子で話しかけ、女性陣から嫌悪された。

 

無意味先輩は、店がめちゃくちゃに忙しいときにわざとゆっくり仕事をしてサボろうとした。

 

無意味先輩は、入りたての無能な僕に頑張って仕事を教えようとした。

 

無意味先輩は、混雑した店内で「店員の対応が遅い」と理不尽に怒る客に、わざわざ厨房から出ていき僕の代わりに頭を下げた。

 

無意味先輩は、医学部をとある挫折で辞めてしまい、経営の専門学校に再入学して上京してきた。

 

無意味先輩は、親戚の法事を理由にアルバイトを欠席する日が増えた。

 

無意味先輩は、欠席が多いと詰める店長に、負けまいとして立ち向かった。その結果アルバイトを辞めてしまった。

 

無意味先輩は、こうして後輩に仕事を教える僕に思い出され、文章に書き起こされ、インターネットに公開されている。

 

そして、きっと有意味にも繋がっているこの世界の何処かで、無意味に笑っている。

 

いま、職場では「彼」「あの人」「アイツ」「爆弾」と名前を避けて言われている。

 

無意味先輩はヴォルデモート先輩でもある。

生成AIはヨルシカを盗めるのか?「だから僕は音楽を始めた」考察

 先日X(この後は全てTwitterと書く)で、零壱ノ間が、リリースした「だから僕は音楽を始めた」というデジタルアルバムが話題となっており、面白かったので思ったことを書こうと思う。

 

 このアルバムは「ヨルシカ」というアーティストが発表している「だから僕は音楽をやめた」、「エルマ」という音楽アルバムを生成AIによって再構築するというコンセプトで制作されている。タイトルからもそのことがよく分かる。これに対して、一部のヨルシカのファンが、「生成AIによる曲生成は作者への冒涜だ」や「ただのパクリだ」といった批判を行っている。しかし、これらの批判は妥当だと言えるのだろうか?かくいうこの私もぼちぼちのヨルシカファンなのでこれについて考えてみる。

 

 結論から述べると、私は零壱ノ間の試みは面白いと感じた。それでいてそのコンセプトを没却しているとも思った。現状では、単にヨルシカを用いた売名行為に過ぎないと批判されるリスクがあるといえる。

 

 前提として私は生成AIの創作物について肯定的である。書くと長いため端的にまとめると、創作物の良し悪しは制作者やその過程においてではなく、ただ作品としてのみ評価されるべきであると考える。 それを5歳児が作ろうが、外国人が作ろうが、ロボットが作ろうが私たちが一目見て、聞いて、良いと感じたものが良い創作物である。少し考えたら分かることだ。当然、ここでいう作品の良し悪しとは商業的に成功するかどうかは含まれていない。また、社会的、法的評価も同様である。(著作権違反になるかどうかは作品の評価自体には関係がない)。

 

 「だからぼくは音楽をはじめた」はヨルシカの別アルバム「盗作」を間接的なモチーフとしている。「盗作」では音楽泥棒が破滅するまでを描いており、その楽曲群は既存の他人の曲や詩をパッチワーク的に縫合し制作されており、盗作を体現している。作中で音楽泥棒は、メロディはバッハの時代にで全て出尽くしていて、オリジナルは存在しないという。私たちが見たもの、食べたもの、感じたもの、聞いたもの、それら全てが自分自身であり盗作である。

 

 このようなコンセプトを踏まえると、零壱ノ間の狙いが分かる。生成AIが出力する仕組みは人間と似ている。インターネットに無数にあるコード進行、ドラムのリズムパターン、ボーカルの息遣い、ギターの音色、ベースのゴーストノートパターン。それらを取り込み、再構築し作品として出力する。この過程が人間の創作と何が違うというのだろう?AIを使えば誰でもできると言うが、誰が彼以前にこのような試みを行ったというのだろうか。このようなコンセプトは一種の批評になりうるし、「ただのパクリだ」という批判は、本作のメタ的な文脈を見落としている。(リスペクトがあればオマージュ、なければパクリだというのは何とナンセンスなことだろう!)

 

 以上が前半の「面白い」と感じたところである。ではメッセージが伝わってこないとはどういうことか。

 

 まず、このようなコンセプトを実現するのであれば盗作元は「だから僕は音楽をやめた」「エルマ」ではなく、「盗作」「創作」であるべきである。そうでないと、生成AIによる再構築というメッセージ性が薄れてしまう。盗作だと銘打つ作品をAIで盗作する、これにこそ価値があるように思えるし面白いと感じてしまうのだ。

 

 また、盗作であるからには元の作品は極力バレてはいけない。残念ながら世の中にはバイアスは少なからず存在するから、「盗作である」と判断された作品は、その後正常に評価されることはほぼない。そうであるならば、可能な限りバレないモノであある方が都合が良い。

 両者の決定的な差は、「記号」をなぞっているか、「構造」を盗んでいるかにある。零壱ノ間は「エイミー」「エルマ」といった固有名詞、つまり「記号」を直接的に流用してしている。これでは作品との結合が見えない。対してヨルシカの「昼鳶」の印象的なスラップフレーズはJustin KingのPunk Diffiedを基にしているが、ギターのチューニングが半音下げであるのに対して、原曲はダドガドチューニングである。このように構造を盗用しつつも、中身を微妙に変えることによって盗作のエッセンスを演出している。このあたりのバランス感覚はコンポーザーn-bunaの卓越したセンスであると評価できる。

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 さらに、肝心の楽曲自体が全くヨルシカの盗作になっていないというのが、一番面白くないところである。ヨルシカの曲(といってもアルバムによって大きく変わるから一概には言えないのだけれど)では、モチーフが使い回されたり、ギターのペンタトニック・スケールでのリフや言葉の音節の切り方、文学作品のエッセンス等、ヨルシカの作品たらしめる特徴が多数ある。

 具体例を挙げてみよう。現在ヨルシカでもっとも再生されている「ただ君に晴れ」では、イントロのギターはペンタとメジャーのみで構成されたシンプルなリフでありながらも情報量が多い。このイントロは一曲を通して3回出てくるため印象的である。2番のBメロでは松尾芭蕉の詩が引用されている。また、サビでは「諦めてる」と「だけ」の間に区切りを入れるという独特な文節の切り方をしている。このような特徴が見られる。

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 このように象徴的な特徴があるにも関わらず、これらの要素が全く含まれていない。結局、この作品が「盗作」になっていない点が一番の問題であるように思う。以下は零壱ノ間の「共謀」であるが、そもそも原曲が不明である。(強いて言うなら雲と幽霊?)曲調はダークなシャッフルビート。ピアノ基調のイントロであり、基本的に文章単位で区切ってあるためボーカルのリズム感がやや不安定である。サビに盛り上がりが来る点は近年の流行を踏襲しているが、その後のキメの部分でアカペラになる展開はAI特有のものであるように感じる。結局、ヨルシカとの類似点が少なすぎて、この作品が盗作であるかどうかすら分からない。これではヨルシカの名前を借りて、AIオリジナル曲を発表しただけになってしまうだろう。

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 以上を総括すると、零壱ノ間の「Aiによる盗作は悪いのか」という作品コンセプト自体はヨルシカの盗作に対するアンサーとしての側面があり、また社会に対する問題提起として非常にクリティカルであるといえる。しかし、盗作の元、盗作に対するスタンス、楽曲の完成度が致命的に不足している。それによって、コンセプトと不和を起こし作品の完成度を落としているといえるだろう。

 

 これを踏まえて私も文章を考え、生成AIに読み込ませコンセプト文を作成してみた。

俺は泥棒だ。機械を使って盗んでいる。

街に流れる音楽は、すべてが誰かの模倣だ。 誰もその事実に気づかないまま、新しいフリをしている。 だから俺は、機械を使って効率よくやる。

人間が作るものと、俺が機械で出すもの。 そこに一体、何の差があるというのか。

俺はただ、自覚のある泥棒だ。

 

 なんというか、やはり原作に比べると随分軽薄なものになってしまい作品にすらなっていない。個人的見解では、n-buna の文章は人間の心理状態をメタ的に分析しつつも心情と行動や、思想と感情などの矛盾を描く力が卓越している。このような人間の矛盾によるゆらぎを生成AIで再現するのは難しいということなのだろう。このような人間的ゆらぎを表現できることを夢見つつも、AIも使い方が肝心であると思った。

※生成AIによって制作した楽曲を商用利用する場合には著作権法違反によって処罰される可能性があります。あくまで自己責任でお願いします。

伏線

・小川哲さんの「言語化するための小説思考」を読んだ。小説の書くテクニックというよりは、小説としてアウトプットするまでの思考の道筋を丁寧に分析した本だと感じた。

 中でも特に興味深かったのが、小説においては全ての要素が伏線になるということだ。例えば、「ジャムの瓶を開けようとして、目をこすりながら綺麗なところを探す。」という一文があったとする。一見ただの情景描写にすぎないが、主人公がジャムの蓋を汚してもそのままにするような大雑把な性格であることや、パンにマーガリンではなくジャムをつける人間であり、そしてそれが多分朝の出来事であることが読み取れる。このように一文であったとしても様々な情報をもたせることができるというわけだ。

 ジブリ映画や、近年の精密なアニメ(葬送のフリーレンとか?)では、目線や会話の間劇伴、SEなどが全て意味のあるものになっていてすごいなあと思う。

 非常にロジカルな小説の書き方であるが、同時に日記やブログ記事なんかではこういう書き方はできないなとも思う。多分、投げ出されている文章や整える前の文章が雑然と転がっているようなところに面白さがあるからだと思う。それはそうと、読みにくい自分の文章は省みないといけないですね。トホホ。

 

・棚に眠っていたポケモンカードを売ったら合計で1万円になった。昨今のポケカブームは凄まじい。気を大きくした私は友人と、原宿の謎メキシコ人が経営する、謎メキシコタコスを謎に2000円超払って食べた。美味しかったけど少し高かった気もする。世界はプラマイ0で出来てるのかしらん。

 

・小川哲さんの小説を読みたいと思って調べたが、二桁に及ぶ積読を思い出して留めた。

 

・マイナンバーカードの更新をしようと出かけ、90分待ったが、マイナンバーカードが財布から抜け落ちており職員に嘲笑された後撤退した。そろそろ財布の買い替えを検討すべきかもしれない。

謎タコス。味はめちゃくちゃ美味い。コーラと一緒に注文することを強く勧める。